2010年12月19日

最後の忠臣蔵

この間試写会で見て来た。

結構忠臣蔵は好きで、作られた歴史として、忠臣蔵ほど日本人的な事件はないんじゃないかと思う。過去に見て来た忠臣蔵は映画や大河ドラマ含めバラエティ豊かで、江戸時代の歌舞伎に始まる書き放題は今も変わらん!な感じがある。まあ、それを楽しんでるわけだけどね。

しか〜し、それにしてもだけど、この作品には違和感。ネタバレ御免で書きますが、このストーリーはひどいんじゃないか?というか、この描き方は何?原作あるらしいが、これは脚色がひどいのか?原作もこんな酷いのか?史実が(まあ史実も脚色されて、どこまでが本当かわからないけど)どうなっているのか気になる。とりあえず茶屋四郎次郎の息子の嫁が誰かは調べられるかとは思うのだけど。

で、そういう知識もなにもなしになぜひど過ぎると考えたかといえば、日本人が昔から縁起の悪いことを嫌っていたから。だから、47士法要の日に大石の娘が婚儀をするはずはない!と言い切っちゃう。よほどの理由がなければ、嫁ぎ先だって、その日は避ける。

また同様に婚儀の日に、その娘を守り育てあげた人が切腹もしないでしょと。しかも、大石から娘のために預かって大切に保管していた羽織(裃?)を来て切腹はひど過ぎる。あそこまで忠実だったのに、泥塗ってるようなもんだ。まあ大石の娘の可音が丹精込めて縫った着物じゃないのが救いか。

いやどうみても、残された可音がかわいそ過ぎるストーリー。第一結婚して人生終わりじゃないから。結婚しても子供ができなければ、嫁の立場が危ういのは今と比較にならない。可音は隠し子だし、おおっぴらな後ろ盾は望めない(と思う)。だから、映画的には締まらなくても、もしこんな話があれば仕えられるだけ仕えるのが孫左衛門の道だったんじゃないか?

劇中、生き残った者のほうが生きるのに厳しかったというようなセリフあるのに、孫左ずる過ぎる!ってなもんである。

まあ、瀬尾孫左衛門役の役所広司や寺坂吉衛門役の佐藤浩市の演技力で見せているが、えぇ〜な展開である。(二人とも大好きなんだけどね)

そこで気になったのが、この映画がワーナー製作で製作総指揮も外人さんだったこと。もしかしてそういう演出の指示あり?なにしろ人形浄瑠璃が出てくるのだが、そのシーンが必要以上に長い。海外に売るための演出か?って感じ。

映像美術や風景がきれいで、ここどこ?行ってみたい!と思わせる出来なので、ほんとに惜しい。これが原作通りだとしたら、それも酷いなって思う話で、なんでこんな話を映画化したんだろ?と思う。

しかも孫左の可音の世話の仕方も、足の指洗うシーンなどあって、エロ過ぎる。あの暮らし向きであれば身の回りの世話をする子供とかがいてもいいと思うが、多分そのエロさも原作はどうか知らないが演出なんだろう。

三池映画のようなハチャメチャな映画ならいいが、こういう映画でそういうことやると、それを本当と考える人が必ずいるのが怖い。海外出すのが目的ならなおさらだ。しかし海外資本だから言えなかったのか?いや元々原作がこうなのか?と、堂々巡りなのであった。(原作読め!)
ラベル:最後の忠臣蔵
posted by anne at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 現在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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