2007年07月24日

13歳年下から27歳年下の旦那へ・・・小柳ルミ子

今日の芸能ニュースで一番注目しちゃったのはやっぱり27歳年下の俳優と結婚する小柳ルミ子のニュース。だってもう親子じゃない、それって。しかも大澄賢也と結婚したのが89年で、今55歳!その魅力とはどんなものなのか?入信して教授してほしいくらい未婚で結婚経験もない私。だって賢也と結婚した時だって、賢也も同じ歳なのに(実際は一つ下でした)よくそんな年上と結婚するなあ〜と思ったんだよ、当時。でも今になってみればというか、この歳になってみれば、13歳ぐらいの違いなんて、たいしたことはないとも最近思う。でも27歳ともなると、やはり親子だよ、そりゃ!って感じ。

しかし相手の俳優は、賢也が結婚した当時よりも歳はいっているわけだし、お互いがよけりゃいいんだけどね。だって孫やひ孫ほど歳の離れた男女の結婚は昔からあるわけだから、別に女性が上のパターンがあってもおかしくはないよ。ただ、男女が逆転した場合、子供ができる可能性が全くなくなる場合があるから、その点はいいのかな?とも思う。だって、ルミ子に今から子供は絶対無理でしょ?それでも相手が同じぐらいの歳ならあきらめもつくかもしれないけど、相手が若いとそのうち子供が欲しいと言い出すんじゃないかと考えてしまう。そうなったら、ルミ子もかわいそうだし。

それにしてやはり小柳ルミ子は凄い。だって小学校2年ぐらいの時に、テレビでよく見たあの「瀬戸の花嫁」の初々しい人が、こんな歳をとるごとに若い男性と、なんて想像もできなかったよ。だけど、そういえば昔賢也とルミ子が二人で踊りながら料理を作る番組内のコーナーがあったけど、あの時色々努力をしているなあと感心した覚えがあるんだよね。そういう日々の努力が実ったのかなあ?

いずれにしてもガンバレ、ルミ子手(グー)



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2007年07月22日

J・K・ローリングが同世代か〜

ハリー・ポッターの新作映画の公開と、シリーズ完結作の発売で、ここのところサイトニュースを見るたびにハリー・ポッターの名前が飛び込んでくる。そんなわけで、作者のJ・K・ローリング自身についての記事もあったわけで、読んでみたら彼女ったら私の一つ年下!それでシリーズ1作目の出版社がみつかったのが1996年てことはほんの10年ばかりの間に、生存する最も偉大な英国人作家と言われるまでになったってって凄い。だってまだ41歳でしょ?

これって童話等の子供向け物語がたくさんある英国ならではなのかな?私は英国の子供用物語が大好きで有名どころはけっこう子供時代に押さえてた。ドリトル先生でしょ、メアリー・ポピンズでしょ、ピーター・パンでしょ、それに床下の小人達とそれからアリスもある。しかし、その他にもピーター・ラビットやプーさんやもう一つなんかうさぎものもあったし、かえるものもあるよね?それに「秘密の花園」や「小公子」「小公女」もイギリス生まれの作家が書いているし、パディントンもいる。そしてもちろん「指輪物語」や「ナルニア国」シリーズも忘れちゃいけない。

ここで重要なのは、これらはみな子供向けなんだけれど、大人も楽しんでいるということ。これって最近の仮面ライダーシリーズを大人(父・母)も楽しめるように作っているというのに通じることかな?だってもし読み聞かせをするとしたら、読むのは大人でしょ?子供も楽しめて大人も楽しめなくちゃ、つまらないよね。

実は児童書好きで大人になってから読み返している本がたくさんあるし、まだ読んでないけど読みたいと思っているのもたくさんある。だって子供時代にはまだ翻訳されていなくて知らなかった本がたくさんあるんだもの。で、読みたい本の中には、ハリー・ポッターも加わっている。だってこれだけ騒がれたらやっぱり読んでみたくなるでしょ、そりゃ。

しかし、この出版の度に異常に盛り上がるのは、現代ならではかな?と思う。人気のシリーズが完結しないうちに映画化され、よけいファンを増大させ興奮させていく。しかも映画の公開時期に完結編の出版も行っている。明らかに操作しているよね。でもここまで来るともう社会現象だし、もうこのハリー・ポッター自体が歴史の一部になっているわけだから、誰にも止めようがない動きなんだろうね。

ローリングはこの原作の印税と映画化で凄い財産家になっているようだし、ハリー役のラドクリフ君は世界一のティーン長者だと先日何かで発表されていた。ラドクリフ君が例えハリー役以外ができなくても、もう一生食べていけるんじゃないかと思う。まあ、人間仕事がなく生きるのはつらいことだけどね。

ローリングもハリー・ポッターシリーズの後、他の本を書くのかどうか?だけど、まだ41歳なら、これからも十分他の物語を書くことは考えられるよね。お金を稼いでもたぶん、生活費以上のものはただのおまけでしかないと思う。だって構想を得てから、どこへ行くにも持っていって続きを書いていたわけでしょ?仕事があっても、生活保護を受けていても。作家という者はそういうものだよね。

しかし同世代でここまで成功している人を見ると、私は何なんだ?って改めて思うなあ、やっぱり。なんかせにゃ!

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2007年07月08日

日本の下着販売革命、野口美佳さん

昨日「王様のブランチ」の姫様コーナーにはゲストがいたのだがそれがディタ・ヴォン・ティース。ボンデージ初期風のファッションとメイクで注目され、マリリン・マンソンと結婚して、セレブゴシップメンバーの仲間入りをした人だ。実は2週間前、スパイラルホールでやっていた写真展を見ていた。それを主催していたのが、ピーチジョン(と確かワコール)。今出ているピーチジョンの表紙はディータなので、それでやっているんだなとは思ったけど、ゴシップのうさん臭さでしか知らなかったんので興味があって見てきた。
http://www.peachjohn.co.jp/dita/lingerie.html


ディタの肩書きがダンサーとは知らなかったけど、バーレスクダンサーというものらしい。写真展には映像もいくつかあったんだけど、ダンサーといえるほどの動きはなかった。しいていうならストリップ。でも今時昔風のボンデージファンッンで出てきた様に、自分を演出して出てきた人だから、バーレスクダンサーというのもこの人の造語かも?とウィキで念のため検索したら、なんのことはない局部を見せないストリップダンサーのことだった、なるほどね。

しかし、そのバーレスクダンサーでここまで出てきてしまったというのはある意味凄い。ストリップダンスコンテストなんて、テレビで何度か見たことあるし、映画のシーンでも見たことあるが、凄く激しいものだ。なにしろダイエットスポーツにまでなっている今日この頃。しかし彼女の場合、その普通(たぶん)のバーレスクダンサーとは違う。だってあのファッションでハードは動きは出来ないでしょ?身長が低いので、そんなんで立てるのか?ぐらい高いハイヒールを履いているし。やはりバーレスクダンサーにボンデージファッションを組み合わせたのがうまかったんだろう。しかもマリリン・マンソンと結婚である。最近のゴシップ誌を見ると、しょっちゅう出ていたわけだし、有名ファッション誌の表紙も飾っている注目度は、やはりあの容姿と今も人気のあるボンデージの初期ファッションがぴたりはまっていたから。海外の雑誌とかを見るとボンデージの人気はほんと凄い。

そしてそのディータをピーチジョンの表紙に起用した野口美佳さんである。姫様とディータが最初に行ったのが109内のピーチジョンで、そこには野口さんが待ち構えていて、ディータを起用したきっかけを話していた。彼女はしょっちゅう買い付けで海外に行くわけだから、その際に見かけて面白いと思ったようだ。なにしろ下着姿が売りなセレブなわけだから。しかもディータも日本に来る度にピーチジョンに寄っていたという。(ほんとか?まあエッチっぽいのも多いからね。しかし姫様がすかさず突っ込んでたぞ。)

通販が注目された頃、たくさん通販カタログを取り寄せていたことがある。昔、通販と言えば千趣会とハイセンスしかなかったものだけど、気がついたらあれよあれよと増えていって、おしゃれなものも出てきた中にピーチジョン(PJ)もあった。PJはその当時の旦那さん、現会長さんがやっていたエッチ下着の買い付けのときに出会ったおしゃれでかわいい下着を売るために始めた通販とPJの中に書かれていた。そのせいか、エッチ下着がたくさん載っていた。私は昔から、下着は試着してから買う派なのだけど、カタログとか見るのは子供の頃から好きだったので、毎回PJが届くのが楽しみで、その度に「見てこのエッチ下着〜」と友達と盛り上がったものだ。

しかしまだバルコニーブラとかも珍しかった時代にそんな下着がたくさん載っていたわけだから、注目されないはずがない。私は店舗に行きたいと思っていたのだけど、一号店が辺鄙な場所で一度も行けず、だから渋谷店が出来たときは喜んで行った。下着屋さんが認知度を高めたのも、PJのおかげだと思う。とはいえ、私は昔から下着屋さんで下着を買っていたので、そんな下着屋が増えただけなんだけどね。なかなか合う下着がなくて、本屋で下着雑誌を見つけて買って、その中でいいものがあると直接問い合わせていた。そういうのに載っているのは販売元なので、問屋街の店に直接来るように言われ買いにいったこともある。その際に何を見て問い合わせたのか聞かれ、答えたらそれは業者用の雑誌と言われたものです。普通の本屋にあったから業者用とは思わなかったんだけど。

しかしその後別の下着雑誌(あきらかに一般の下着好き用)「body」が出たときもしばらくその雑誌を買って、片っ端から気になる下着屋に行っていたぐらいの下着好きだったから、野口さんの目のつけどころはほんとに凄いと当時思ったものです。子供の頃からの映画好きで、洋画雑誌を見ながら育ったので、欧米の常識バルコニーブラ他プッシュアップブラは当たり前のように目にしていたのだけど、日本には普通のお店にはなかった。それを日本で認知させるようにしたのは、私は野口美佳さんと杉本彩だと思っている。いわば現代日本の下着革命を起こした二人。それまでは欧米と日本じゃ違うからみたいな感じで、日本では認知度の高くなかった(高級下着屋さんにはありましたが)下着を普通の下着にしてしまったのがPJと同時期にプッシュアップブラを使ったファッションで出てきた杉本彩だ。(多少時間差はあったと思うけど、今思うと相互作用があったと思う)

二人の凄いところは、みなあるのを知っていたのに、日本に取り入れていなかったのを、ちゃんと取り入れたところ。こういうことって多い。例えば相田みつをの言葉なんて、そんなのわかっている、というような言葉が多いわけだけど、それを書いたのが凄いというのと同じだ。そんなの知ってるよ、じゃなくてじゃあなぜ日本にはないの?というわけだ。

まあ野口さんはエッチ下着とはいえ下着を売る場所にいたし、杉本彩は自分を見せる場にちょうどいたからとも言えるが、同じような場にいた人はたくさんいたのに、その中にいてもやらなかった人はたくさんいたわけだから、やはりこの二人は凄いと思う。

その凄さは二人のその後の仕事をみればわかるとも思う。PJの店舗はたくさんあるし、人気モデルを起用し、海外からモデルを起用するまでになった。そして杉本彩はいろんな仕事をこなしている。たぶん杉本彩は勉強熱心なので、色んなことができるのだと思う。

野口さんは、日経セミナーでゲストになったことがあり、話を聞きにいったことがあるが、テーマとは違うご自身の仕事や私生活の話が面白かった。最初の旦那さんとの間に三人のお子さんがいて、4人目のお子さんは別の方のお子さんなのだが、入籍していない。なぜかと聞かれたら、会社が大きくなって(どこの馬の骨とも知れない)そこらへんの男と入籍して、もし自分に何かあったら会社や従業員がどうなるか心配と言い切った。一緒にPJを立ち上げてきた最初の旦那さんは、今はPJの会長である。

ところでずっと野口さんのことを年下だと思っていた。しかし65年の1月生まれなので学年でいえば同じ歳。それでここまでやってきた彼女のバイタリティに脱帽だ。ちなみに杉本彩は1968年生まれ。

※芸能人の敬称は勝手ながら略してます。
posted by anne at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 1965年生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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